DAY250-251 コソボ 〜地元民と語り合い飲んだ、最高の酒〜
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3時間後の14時半に隣国・コソボのプリズレンの街に到着しました。
プリシュティナはあまり見所がないためスキップして、
旧市街が魅力的なプリズレンの街へとやってきました。
コソボは2008年に隣国セルビアから独立を宣言した、ヨーロッパで最も若い国。
「独立」と言っても、
日本やアメリカなど100ヶ国以上は独立を認めていますが、
ロシアなど独立を認めていない国もまだ多い状態。
特にセルビアは、コソボが現在でも自国領である、という立場を崩しておらず、
そのため現在でも、両国間の国境越えをすることは難しい状態です。
アルバニア側へと出国します。
そもそもなぜこのようなややこしい状況になったのか。
簡単に説明すると、
コソボは、セルビアとアルバニアという2つの国に挟まれています。
その地理的環境から、
もともとコソボにはセルビア人とアルバニア人が共存していましたが、
2度に渡るバルカン戦争の結果、
さらに2度の世界大戦を経たあとは、
ユーゴスラビア連邦の6つの共和国のうち、
しかしその後、徐々にコソボ内でアルバニア系住民とセルビア系住民の対立がエスカレート。
1990年代になるとユーゴスラビア解体も起き、
激化した対立は武力衝突へと繋がりました。
半ば内戦状態となり、コソボが人道的危機に瀕したとして、
その後国連による暫定的な統治下でセルビアとコソボが交渉を行いましたが決裂、
コソボが独立を宣言する形となりました。
このような歴史があるため、コソボでは民族に関する話は基本的にタブーとなっています。
以前訪れたアフリカのルワンダでも、
ルワンダ内戦(ツチ族とフツ族の対立)という悲劇的な虐殺があったため、
民族に関する話は完全にタブーでした。
さて、話を戻します。
14時半にプリズレンの街の郊外にあるバスターミナルに到着。
歩いて宿へと向かいます。
チェックインを済ませ、街をぶらぶら。
急な坂道を登ること約15分。
街を見下ろす高台に建つ城塞へと向かいます。
晴れていればここから絶景が見えるはずなのですが、
今日は生憎の曇天。
一面見渡す限りの赤い屋根。
たしかに晴れていれば相当綺麗でしょう。
坂道を下り、宿へと戻ります。
宿のオーナーは実の兄弟。
彼らと1時間以上いろいろな話をしました。
お互いの国のこと、生活のこと、
これまで訪れた国のこと…。
旧ユーゴスラビア時代のパスポートを見せてもらいました。
彼曰く、ユーゴスラビア時代は、
例えば看護師の給料は月2000ユーロ(約25万円)だった。
3分の1の月700ユーロ(約8.5万円)に減ってしまったそう。
ユーゴスラビアが存在した時代を知らないぼくからすると、
ユーゴスラビアという国がそんなに豊かだったことにまず驚きました。
国が独立し、民族が自治権を獲得するということは、
必ずしも望ましい結果ばかりをもたらすわけではないのかもしれません。
兄弟の弟さんのほうはスキーと登山が趣味で、
スキーは国内で2位の腕前だったそう。
ぼくもスノーボードが大好きで、
キリマンジャロに登ったりと登山も好きなので意気投合し、
そのまま飲みに行くことになりました。
2時間ほど飲んでいたでしょうか。
山登りのことからウィンタースポーツのこと、
さらには彼が軍隊に所属していた時代の話など、
本当にあらゆることを話しました。
気づけば時刻は23時。
ほろ酔いのまま宿に帰って眠りにつきます。
ああ、いい夜でした。
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朝起きたのは6時半。
今日も、朝発のバスに乗って隣国へと移動します。
宿を出ると外は快晴。
この天気なら、城塞から街を見渡したら綺麗だろうな……
と後ろ髪を引かれますが、
そんなことをしていてはバスに間に合いません。
続きはまた今度、この街に戻ってくることがあれば。
隣国アルバニアの首都ティラナ行きのバスは、
これまでとは異なりマイクロバスでした。
ケニアではマタトゥ、タイではロットゥー、キルギスではマルシュルートカと呼ばれているやつです。笑
定刻通りの7時半に出発。
バスの中で隣になったお母さんが、
ぼくの大きなカメラを見て、
「この子を撮って!!笑」と言ってきました。
赤ちゃんも空気を読んで、笑顔になってくれました。
ほっこり。
バスは国境を越え、
3時間ほどでティラナに到着しました。