世界一周85日目後編 ルワンダ(34) 〜「20世紀最悪の悲劇」が起きた国〜
世界一周85日目
ザンビア(ルサカ)〜ケニア(ナイロビ)〜ルワンダ(キガリ)
そして到着した、キガリ最大の観光地がここ。
キガリ虐殺博物館。
ここルワンダは、20世紀最悪とも言われる人道的悲劇が起きた国としても知られています。
それについて知るためには、ルワンダという国の成り立ちを理解しなければいけません。
ヨーロッパ勢力がアフリカに進出する以前は、
ルワンダにはツチ族という遊牧民族と、フツ族という農耕民族が共存し、ルワンダ王国が形成されていました。
この2つの民族の意識は曖昧で、お互いを区別することもあまりなかったそう。
そして近代になり、ヨーロッパ諸国によるアフリカの植民地化が始まりました。
20世紀初頭、第一次世界大戦で敗れたドイツからこの地を引き継いだベルギーは、
植民地統治の手段としてことさらツチ族を優遇しました。
国を少数派のツチ族に統治させ、
多数派のフツ族を虐げさせたのです。
その結果2つの民族の差異が強調され、対立を煽られた結果、民族対立が顕在化しました。
そして1994年4月6日。
当時のルワンダ大統領と隣国のブルンジ大統領が乗った飛行機が、
この事件が引き金となり、多数民族であったフツ族によって、
支配階級であったツチ族と、そのツチ族に対して温和な政策を取ろうとする穏健派フツ族を殺害する、
という大虐殺が始まりました。
約100日後の1994年7月に、他国に亡命していたツチ族を中心とするルワンダ愛国戦線RPFによってルワンダ全土が武力制圧されるまで、
フツ族の過激派民兵らによって50万人〜100万人ものルワンダ人が虐殺されました。
これは当時のルワンダの人口の10〜20%にものぼる数でした。
世界の歴史から考えれば、ここからツチ族によるフツ族に対する報復の虐殺が始まってしまうのが普通です。
ですが、ここからがルワンダの凄かったところ。
ルワンダ全土を制圧したツチ族を中心とするRPFは、ツチ族による報復を抑え、
ツチ族出身閣僚のみならずフツ族出身閣僚の任命なども行い、民族の融和と民主化を押し進めました。
その結果、虐殺後の20年間でルワンダは目覚ましい経済発展を遂げ、「アフリカの奇跡」とも呼ばれています。
実際に街はとても綺麗でゴミが落ちておらず、
治安もかなり良かったです。
この虐殺博物館は、被害者の遺骨を埋葬してあるだけでなく、
虐殺の経緯や残酷さ、
そして世界でこれまでに起きた他の虐殺などの展示なども行われていました。
ぼくは春にポーランドを訪れた際に、有名なアウシュビッツ収容所を訪れました。
ナチスドイツが、ユダヤ人を中心とした民族を虐殺した場所です。
アウシュビッツ収容所の展示は、虐殺の残酷さが特にクローズアップされており、
本当に見る人を引き込む展示でした。
このキガリの虐殺博物館は、虐殺の残酷さ自体はもちろん説明されていましたが、
特に強調されていたのは虐殺が起きた経緯と、その後の融和についてでした。
展示を通して、「普通の市民でも、民族対立を煽られ偏った教育を受けると殺人者となってしまうこと」が何度も示されていました。
虐殺の展示の場合、どうしても加害者側の思想を異常なものとして片付け、
被害者側の悲惨さをクローズアップすることが多くなります。
平穏な一般市民が殺人鬼と化したルワンダ紛争。
ここキガリでは、「この展示を見ているあなたも、思想や教育によっては殺人者になってしまう可能性がある」と何度も説いていました。
さらに、虐殺で家族を失った人々に、「家族を殺した人間が目の前に現れたとして、あなたはそれを許せるか?」とインタビューしたビデオが流されていました。
多くの人は許す、と言っていました。
その中で特に印象的だったのが、「やはり許せない」と語った女性でした。
たしかにそれが本音だと思います。
ただその女性は、
「わたしは許せない。ただ、ルワンダという国が私たちの子供にとってどういう国であってほしいか考えたとき、わたしは加害者を許さなければいけない。」
と答えていました。
現在ルワンダでは、「ツチ族」「フツ族」という言葉を使うことも禁じられているそう。
暗い過去と向き合いつつ、先に進もうとしているルワンダという国を訪れられてよかったなと感じました。
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