旅バカ医大生、絶景求めて世界一周。

アウトドアを楽しみながら、バックパッカーとして世界一周を目指すブログ。現在55ヶ国訪問!以前は野宿で自転車日本一周をしていました。キリマンジャロに登ったり、登山も好きです!

世界一周189日目 インド 〜この国では生まれながらにして、人は平等ではない(ガンジス川,バラナシ)〜



朝起きたのは午前5時。

場所はバラナシの路地裏にある安宿。

バラナシとはヒンドゥー教の聖地・ガンジス川のほとりにある街です。





3日前からの体調不良がおさまらず、

またしても高熱にうなされて目が覚めました。



日本から持ってきたポカリスエットの粉を水に溶かし、

ひたすら飲んで寝て、を繰り返します。



昼前になって少し体調がよくなってきたので、

宿を出てバラナシの街を散策することにしました。






宿の前の細い路地を歩いて行くと、






階段を下った先に、





ガンジス川の河岸が姿を現しました。





このような岸辺から階段になって河水に没している堤のことを「ガート」と呼び、

このガートこそが、この街を訪れるヒンドゥー教巡礼者が目指す場所です。






バラナシの街に沿って84ものガートが並び、

その中でも最大なのが、「ダシャーシュワメード・ガート」。


物凄い数の巡礼者が、芋の子を洗うように川に浸かっています。





特に今の時期の8月は、シヴァ神の祭りがあるため、

インド全土からオレンジ色の服を着た巡礼者が集ってきています。





聖地巡礼を成し遂げたからなのでしょう、

巡礼者は嬉々とした表情で、

ガンジス川の水を汲んで持って帰っていきます。




甲子園の土を持って帰る高校球児のようなものでしょうか。



あれは負けて泣きながらだから違うのか。




そんなくだらないことを考えつつ、

目の前で繰り広げられる巡礼者の歓喜の瞬間を眺めます。





すぐそばでは、ウシが体を洗っています。



ヒンドゥー教ではウシが聖なる動物として崇められているため、

街中にもウシだらけ。






ガンジス川は沐浴の場であるだけでなく、

地元に住む人々にとっては、

体を洗ったり洗濯したりする生活の場でもあります。







ガートを後にして、街をぶらぶら。








街を歩いていると、今後の人生で、忘れることのできないであろう光景に出会いました。




道端で眠っているのかと思っていると、

亡くなっている人がいたのです。




ヒンドゥーの信仰によれば、ガンジス川の聖なる水で沐浴すれば全ての水は清められ、

ここで死に、遺灰がガンジス川に流されれば、輪廻からの解脱を得られるそう。



そのため、この街に年間100万人を超える巡礼が訪れ、

その中にはここで死ぬのを目的にしている人さえいるとのこと。






道端で亡くなっていた老人も、

死期を悟ってこの街を目指してやってきたのでしょうか。



それとも、飢えや病で亡くなってしまったこの街の路上生活者だったのでしょうか。





それを知る術はもはやありませんが、

道端で人が亡くなり、誰もそれを気にも留めない、

ということに、

自分の今まで知ってきた世界の狭さを感じました。





これまでアフリカや南米など50以上の国、あらゆる街を

旅してきましたが、

インドほど物乞いや路上生活者が多く、

いわゆる貧富の差の激しさを感じたことはありませんでした。






この国の貧富の差の背景には、

ヒンドゥー教に結びついたカースト制が深く関わっています。





いまは法律によって表面上は禁じられたカースト制ですが、

街を歩いていていまだにそれをひしひしと感じることが何度もありました。





カースト制とは、すなわち身分の階級制。



この国では、生まれたその瞬間から人は平等ではなく、

身分が定められ、職業が定められ、結婚相手の階層も定められています。




デリーやコルカタなどの都市部では昔に比べて良くはなったようですが、

地方では未だに根強く残っているそう。





特に悲惨なのは、「アウトカースト」と呼ばれる人々の存在。


彼らは、カースト制に組み込まれることさえされず、

日本語で言う「不可触民」、

すなわち「存在が穢れているので触れてはいけない、人として見なされていない」という存在です。




彼らの多くはゴミ掃除やネズミ捕り、火葬などの

インドの人々が敬遠する職業にしか

就くことが許されていません。






この街を歩いていたとき、

道路をホウキで掃いて掃除している男性に、

小綺麗な格好をした16〜17歳の女の子数人が、罵声を浴びせているのを見かけました。




どうやら、男性がホウキで掃いたゴミが、

女の子のスカートに当たりそうになったとのこと。




男性は言い返すこともせず、

ただ申し訳なさそうにこうべを垂れています。




彼女の話す言葉は分かりませんが、

侮蔑しているような言葉を発しているのは分かりました。





この街には本当に多くの路上生活者がおり、

身動きをとる体力も失い、ハエにたかられている人も

少なからずいます。




職を失ったなどの理由ではなく、

カーストのせいで職に就くこともできず、

物乞いをするしかない人もいるのでしょう。




彼らのうちの数人は、近いうちに亡くなってしまいそうな

生気の無さを漂わせていました。




インドの社会の複雑さ、自分の無力さを感じ、

少し暗い気持ちになりました。




世界を旅していると、

素晴らしい絶景や美しいものに出会うこともありますが、

このような光景に出会い、

やるせない気持ちになることもあります。






昼食を軽く食べてから宿で一休み。





日も暮れてきた18時すぎ、街を再びぶらぶら。


ガンジス川の河原で遺体を燃やす、火葬場へと向かいました。





天高く積まれた薪。

1人の遺体を燃やし切るのに、100kgの薪を使って3時間かかるとのこと。






火葬を行う仕事の男性は、

火が燃え盛っている間死体を棒でたたき、

燃え残りがないように均等に燃やし続けなければいけないそう。




過酷な仕事です。

でも、誰かがやらなければいけない。




アウトカーストの仕事のひとつに火葬がある、ということを思い出して、

また何か言いようのない暗い気持ちになりました。




火葬にも多額のお金がかかるため、

このようにして火葬場で燃やしてもらえるのは、

ある程度恵まれた人間だけだそう。




火葬を生業とし、朝から晩まで年がら年中働く彼は、

自分の死の時にそれを受けることができるのか…。





日が沈みあたりが暗くなっても、

火葬の煙は延々と上がり続けています。



そのすぐそばでキャッキャと川遊びする子供たちもいて、

このバラナシという街は、

生と死がすぐ隣にある街だな、としみじみと感じます。





天寿を全うした方の遺体は燃やされ、遺灰となってガンジス川に流されますが、

病気で亡くなったり、幼くして亡くなった子供は、

焼かれることなくそのまま川に流されるとのこと。




そのすぐそばで沐浴をする、

日本では考えられない光景ですが、

これがインドなのでしょう。




少し暗い気持ちを抱えながら、

日も落ちて暗くなった道を歩いて宿へと帰ります。




今日こそはこの体調不良を治し切るべく、

早めに眠りにつくことにします。


おやすみなさい。